仏教の終末思想

日蓮の立正安国論には、金光明経、仁王経、大集経の終末思想が描かれている。
これらの終末思想について、日蓮系以外の宗派の人々が、あまり口にしないのは、単に「軽視」されて来た為に、「無知」である事が主な理由である。

日蓮はもともと天台の学僧であったが、広く浅く学ぶタイプの人であった為に、これらの経典にも、目を通していたわけである。

一方、平安期より語られていた「末法思想」とはいかなるものか?
それはまさに、この「大集経」に描かれている思想である。

「末法思想は、終末思想とは異なる」と主張する者があるが、末法思想とは、釈迦が亡くなると同時に、釈迦の法力が徐々に失われて行くという思想であり、無論、最終的には「終末」に向かうのである。

では、仏教は、何のためにこの思想を説いたのか?
それは、この思想の語り部は、大乗仏教徒である事に着眼すべきである。
釈迦の法力は徐々に失われて行く。
だから、大乗仏教を信仰するのである、という思想なのだ。

いわゆる、釈迦は木の実であり、大乗仏教は木、そのものである。
大乗仏教を行ずる者は、釈迦同様の力を得る、というのが大乗仏教の思想である。

釈迦滅後56億7千万年後の未来に弥勒菩薩が現れるという思想があるが、「56億7千万年」という数字にこだわるべきではない。
単に「永遠」を表現しているに過ぎない。
そして、その弥勒菩薩は、決して未来仏ではなく、常に存在する、というのが正しい解釈だろう。

もともと、弥勒菩薩の源流は、ペルシャのミトラ神である。
ミトラ神は、救世主として、世界的に信仰されており、特に、キリスト教は、ミトラ神を主神とするミトラ教の教義を、完全に踏襲している。

ミトラ神とは、救世主そのものであるから、クリスチャンにとっては、イエスであろうし、他の宗教では、また、他の存在がミトラ神となる。

大乗仏教における弥勒菩薩(ミトラ神)の本当の意味は、大乗仏教を行ずる人、すべてである。
大乗仏教を信じ、行ずる人のすべてが弥勒菩薩となる。
そして、終末からこの世を救うのは、大乗仏教の信仰者に他ならない。

大乗仏教とは、釈迦の教えにこだわらず、ヒンドゥー教、ペルシャ教、日本においては、日本神道の神までも拝む、多神教である。
難しい事を抜きに、ただ無心に神仏に手を合わせるのが大乗仏教の思想である。

さて、特に仁王経の終末思想は激しく、自然現象の破壊まで説く。
善神が去り、悪鬼がはびこるのがその理由とされる。

科学的に証明されたわけではないが、量子力学の世界では、思考は物質に影響を与える、という説がある。

人間の意識が、環境に変化をもらたす、という考え方は、吉蔵の『大乗玄論』に見られる。

「心外無別法。此明理内一切諸法。依正不二。以依正不二故。衆生有佛性。」

あらゆる物事は、精神の支配下に生ずる、という考え方である。

もし、そうであれば、人心の荒廃が自然の乱れを起してもおかしくはない。
現時点では、科学的説明がつかないながらも、一つの警鐘として俺は受け止めたいと思う。

しかしながら、今さら、何が出来るのか?という疑念も抑えがたい。
今さら、この日本の人々が、諸仏に手を合わせるとでも言うのか?

手遅れ感は否めないが、森の火事を消すために、小鳥が何度も何度も、羽根を池に浸しては、その水滴を火の上に落とす、という説話もある。(雑宝蔵経)

黙って、社会が崩壊するのを眺めてもいられまい。

世界の全員を助ける事は不可能でも、一人でも多くが助かるように努力する。
それが大乗仏教の精神である。

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