明日は我が身

自然災害、交通事故、火災。

突如、残念な亡くなり方をする人が増えている。

 
  一切皆遍動 猶如水上輪
  城壁砕落下 屋宇悉圯坼

  一切は皆、揺れ動き、水車の如く、ぐるぐる回る。
  城壁は落下し、家屋はことごとく壊れるだろう。

  (大集経月蔵分第十二法滅尽品第二十)


仏典には、津波の事も、夏冬の逆転現象の事も、地震の事も、竜巻の事まで記されている。
考えられる自然現象を、すべて並べ上げただけ、という考え方も出来るが、ある時期に「集中」して生じる事が重要なのだ。
それを警鐘と受け止められるかどうか?
不慮の死は、常に身近にある。
明日は我が身なのだ。
だが、警戒を怠る事が無ければ、少しでも助かる確率が高まる。

現実的な警戒も必要だろう。
だが、「神とつながる」というのも、大切な警戒の仕方だ。

「虫の知らせ」というものがある。
神とのつながりのある人は、虫の知らせが働きやすい。
預言書を並べて危機感をあおり、マインドコントロールしようという気は一切ない。
だが、あまりにも世の中の人々を見ていると、のんき過ぎる。
ハッピー過ぎる。
現実的警戒感すら足りていないような気がする。

個人ならばともかく、政治家に警戒感が足りないのは困る。

格差社会に手をつけようともせずに、消費税だけを増税させようとする。

貧困な国でも子供は生む。
日本の出産率が低いのは、格差問題が原因なのだ。
子供に惨めな思いをさせたくないから、生まないのだ。

また、何が何でも原発を再開させようとしている。
一日、原発を稼動させれば、一日、危険が先延ばしされるのだ。

なぜ原発を廃止し、世界の模範になろうとはしないのか?

 

仏教では、人心が仏法より遠ざかり、貪・瞋・癡(とん・じん・ち)の三毒に支配された時に、世界は滅ぶと説く。

今はそんな時なのかも知れない。
だが、大集経月蔵分第十二法滅尽品第二十にはこうある。
「唯除浄居天」(ただ、浄居天を除く)と。

悟りに到達した者のたどり着く浄居天という世界だけは、滅ぶ事は無い。

浄居天はこの世にあるのか、あの世にあるのかはわからないが、仏とのつながりを保ち続けた者だけは、最後に救われるのだ。

それは決して、何かの特定の宗教への入信を意味するのではない。
神仏と向き合い、日々、貪・瞋・癡との戦いに生きる者だけが、救われるという意味である。

 
貪・・・欲望に支配される事。
瞋・・・下らぬプライドにより怒る事。
癡・・・真理に対し無知である事。

 

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