西遊記

三毒というものがある。

1.貪欲:際限の無い欲望に振り回されている状態。
2.瞋恚:ブライドが強く、ちょっとした事で怒り狂う。
3.愚痴:仏法に無知。

西遊記は、実在する玄奘三蔵を主人公にしたフィクションである。
西遊記では、三蔵法師には、悟空、八戒、悟浄の三人の仏弟子がいる。
(馬に化けている竜王の子を含むと四人)
この悟空、八戒、悟浄は三毒を象徴しているように見える。

1.貪欲→八戒
2.瞋恚→悟空
3.愚痴→悟浄

三蔵法師は、お人好しで騙されやすい、愚民の象徴のような人物。

私は西遊記は仏典であると見ているが、私流に解釈すると以下のようになる。

三蔵が天竺を求めるのは、人が悟りを求めるという行為。
だが、三蔵には三毒を抱えている。
それが三人の弟子に象徴されている。
ちなみに、「馬に化けている竜王の子」というのは、何の罪も無いが、因縁により不遇の目に遭っている者を象徴する。
ただひたすら、馬となり、地味に努力を重ねる。

玄奘は唯識仏教の研究者であるが、唯識では、三毒は悟りに転ずると言う。

つまり、貪欲はまさに「貪欲にがんばる」という事に通ずる。
瞋恚は、正義感に通ずる。
愚痴は、まじめに通ずる。

三毒も上手く生かせば、悟りになる。
そのためには、常に現状に疑問を持ち、葛藤する。

妖怪は、修行途上に現れる魔性を象徴する。
仏道修行の上では、必ず魔が再三、現れる。
自分の心の中に、あるいは敵対者として。

これらを粉砕しながら、三蔵一行は突き進む。

西遊記では、最終的に、彼らは皆、成仏するのである。

こう考えると、西遊記はやはり仏典だ。

「真言三昧」と言うだけあり、私の流儀は大乗~密教に位置するが、原始仏典を無視しては、仏教では無くなる。
大乗が建物の二階とすれば、原始仏教は一階に相当する。
一階無くして、二階無し。
一階がしっかりしていてこそ、二階は存在し得る。

というわけで、原始仏教の解説音声ファイルをUPしておいたので、ご参考に。
『現代に生かす原始仏教の思想』
http://amba.to/1zwyF8f

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